2005年05月13日
ディベートは俺に何を残したか1
僕は学生時代サークル活動としてディベートに打ち込んできた、というかディベートしかしなかったのですが、今ではディベートも引退して自らの人生を振り返ったりして遊んでいます。
そこで疑問に思うのが、ディベートが僕に何をもたらしてくれたのだろうということです。まあ、少なくともディベートのおかげでいま卒業の危機にあるということは言えそうです。
拙著「Introduction to Sophia Eagles Vol.1」でディベートの良さをひとつひとつ書いているのですが、いろいろ検証していこうかと。
桜井(2005)より引用開始。長いので読み飛ばし歓迎。
"ディベートに習熟することでコミュニケーションスキルが改善されます。Semlak and Shields (1977)の研究では、「ディベート経験を持つ学生は3つのコミュニケーションスキル(分析力、伝達力、構成力)において、ディベート経験がない学生よりも優れている」と結論づけられています。また、ディベートはスピーチ能力を改善するばかりでなく、他のコミュニケーションにおいても私たちの助けとなります。グループディスカッションや対人関係なども上手くなります。Pollock (1982)の研究によれば、様々なディベート経験によってコミュニケーションスキルを鍛えられた人は、グループディスカッションにおいて仲間に高く評価されることが分かりました。ほとんど全ての国会議員は、学生時のディベート経験を対人関係スキル上達の場として重視しています。Pollock (1982)は、これらの研究結果により、スピーチコミュニケーションとしてのディベートの価値が具体的に立証されたとしています。ディベートはプレゼンテーションで成り立っています。ただ考えるだけではダメで、自分の主張をジャッジにプレゼンテーションすることで初めて討論になるのです。ディベートの目的は相手を打ち負かすことではなく、ジャッジを説得することだというのを忘れないでください。極端な話、どんなに良いことをしゃべっていてもジャッジが聞き取ってくれなければ黙っているのと変わりません。したがって、ジャッジという存在を常に意識しながらスピーチをする必要があります。聞き手にいかに分かりやすく「伝える」ことができるかを突き詰めるうちに、自然とプレゼンテーション能力が上がっていくことでしょう。さらに、全国大会の決勝戦ともなれば100人近くの観衆がいるので、人前でスピーチをする度胸がつき、緊張しなくなります。" (引用終了)
確かにそうだと思いまつ。
就職活動をちまちまやってきて内定がもらえたのですが、面接とかでは全く緊張しませんでした。他にも人前で喋るということにはあまり抵抗がないと感じています。 けど、そうだからといってディベートが得だったというわけではない。ディベートによってどれだけ固有にアドバンテージがもたらされたかを考えなくてはいけない。いわゆるinherencyの概念です。要は、ディベートをするまでとどのような違いがあるか。
ディベートを始める前の僕も原則人前に恐怖心などはなかったんです。べしゃりも、まあ人並みではあったでしょう。それでは意味がないのですがね。
ただひとつ言えるのは、論理的に明らかにおかしい滅茶苦茶な議論を堂々とオーラを出しながら語れるようになったということですか。特にオーラというのが重要で、言い換えれば「俺は間違ってないオーラ」。ディベート経験がない方々には難しい要素かもしれませんが、このオーラのあるなしでだいぶ変わってきますよ。論理とか関係なくなりますし(っておい…) というわけでコミュニケーションおよび説得能力が欲しい方にひとこと。
オーラを出せ!
以上です。