2005年05月19日

ディベートは俺に何を残したか2

ネタがない日はこういうシリーズもので場を凌ぎます。
 
今日は情報分析力について考えます。
 
桜井(2005)より引用開始。
"ディベートをすることで、社会科学のさまざまな領域におけるより深い分析にとりかかることになります。論題は半期に1つ作られ、その度に背景知識について調べていきます。論題はホットな時事問題が選ばれますが、それはクローン技術、アジア共通通貨圏、地球環境問題、育児などに至るまで多種多様です。それらのトピックについて研究し、ディベートすることで、学生にとっては社会科学への道しるべとなるわけです(Robinson, 1956)。
大学では、一般教養科目を履修することはできるものの、ともすれば自分の専門分野に閉じこもってしまうことがあります。ディベートでは論題が社会問題についてであることが多いので、自然と時事問題や今までは全く興味の無かった分野に敏感になります。ここだけの話ですが、私はディベートで得た知識だけで一般教養科目のレポートを書き上げてしまったことがあります。
加えて、必要な情報を的確に見つける力もつきます。ディベートではあなた自身の勝手な意見を述べてもダメです。客観的な証拠資料(Evidence)に裏打ちされた主張でないと受け入れてもらえません。よって、「こう言おう」と思ったならばエビデンスを探してくる必要があります。図書館はもちろん、インターネットの検索サイトなどを駆使して、どうにか欲しいエビデンスを見つけます。そこでは、目的の情報に効率よくたどり着くノウハウが学べます。3年の伊藤慎悟くんがリサーチのスペシャリストとして有名です。"
 
全体のファイルのダウンロードはこちら↓
 
まあ、この当たりはacademic debate特有であってパーラでは身につかないような部分だと思います。
で、果たして自分がこのあたりの力を会得したかを考えると、そもそもディベート以外でエビデンスを探すようなことってあまりないんですよね。
 
ただひとつ獲得できたのは、どんな資料を探すにしても、必ずそういうことを言っている危険なextremistが存在するということですかね。つまりは探し続ければ必ず見つかるということです。
 
たとえそれが核戦争による世界の終焉だったとしてもね。

keitasakurai at 20:37│Comments(0)TrackBack(0)ディベート 

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